2014年4月15日火曜日

過越の夜に思う…

出エジプト記 12章 13節
あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。

14日の18時から、過越の祭が始まりましたね。
とても美しい満月でした。神様の契約の印でもある、くっきり綺麗な円が輝いてました。

聖書を愛する友人たちも、おのおのが出来る範囲で、過越の祭を始めてます。
マッツア(種無しパン)を自分たちで焼いて作ってみたり、ワインや市販されているマッツァをゲットしたり、家族全員でイエス様が弟子たちと行ったような食卓をもったり…。
それぞれが、この約束された時に、神様の中へと入っていっています。

経験することって、本当に大切ですね。
経験することで、理解できることが本当に沢山あるのだと驚かされます。

神様が備えた例祭を初めてまともに意識してます。例祭のなかには、私たちが知らなかった神様の意図がたっぷりと詰め込まれてる。神様、私たちの主は、なんて素晴らしいんだろ。
私は、もっともっと主の意図を知りたい!


さて、私の過越の1日目は、いつもの如く、一人で静かに聖書の出エジプトを読んでました。
マッツァはクラッカーで代用〜。そして、あのパワフルな、世界にとどろく大国エジプトから引き出された大脱出と、この神様が定めた過越の祭に思いを巡らせていました。

私は、この世のエジプトから脱出しているってことが、本当の現実、真実であることに、大きなインパクトを受けています。昨年まで、頭では分かっているようでも、実際には四苦八苦していました。まだ奴隷の状態でいるってことに、本当に苦悩していました。

でも、今年になってから、ますます神様との関係が深まってきて、驚いています。
とにかく、聖書を知る事。みことばを知る事、理解することです。ホントにそうですよ。
ただただ、聖書のみことば(イエス)が、私をあるべき姿に整えてくれる。なんて心地いいことでしょうか。これをどう表現していいのか分かりません。

そうそう以前、教会で映画「十戒」を見ました。
災いが通り過ぎるために、家の門柱と鴨居に子羊の血をつけます。
災いは、門に血のしるしのある家を通り過ぎていきます。過ぎ越すワケです。

そのとき、その子羊の血こそが、私たちのメシア(救い主)イエスの血である事が分かって、本当に驚いたことがありました。驚きと共に嬉しさと喜びで、一人で興奮していましたっけ。

この子羊の血は、私たちのためです。血を流してくださった、子羊イエスのおかげで、私は生まれ変わっています。自分を悩ましていた、あらゆる性質がもう無いなんて、信じられますか?
でも現実に、すべて過ぎ去っていて、あんな(遠い目…)生き方をしようにも、もうできないのですよ。「おぇ〜」ってなるから(笑)ホントに。ははは!

私は聖書を覗き込みます。
私はどこから来たのか、私は何者なのか、私は今どこに生きているのか。
それが分かるたびに、なんだか目の奥が熱くなってしまう。

神ご自身が寝ずの番をしてくださった一晩。

聖書のみことばを眺めながら、ただ静かに、この心地良さに浸っていたい。

そんな過越の祭の始めの夜でした。



3 件のコメント:

  1. 主に感謝ですね。
    私も無念が熱くなり
    主の贖いを想うと涙ばかりでます。
    嬉しさと感謝でね。
    お元気そうで嬉しいです。
    まこ

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  2. ポピーさん、間違えちゃった
    無念じゃなく、胸でした。
    変換ミスです。

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  3. ははは!いえいえ、コメントありがとうございます。
    過越の一週間は、主の十字架と復活により深く思いを馳せる時でもありますね。
    主が、私たちに本当に理解してほしいと願われてるその意図に、さらに深く深く浸りたいです。
    良い、過越のひとときを過ごしましょう♫

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