このブログのタイトルです。「からし種の成長」
(英語が得意ではないので、これで合ってるか、ちょっと自信ないですが)
これは聖書のみことばから頂きました。
…もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
わたしの内には、イエスから与えられた信仰の種があります。それは、からしの種(ほんの1mmくらい)ほどの小さなもの。でも、小さくても混じりけのない信仰です。
この信仰があれば、私たちには、” できないことはなにもない ”と、イエスご自身が教えてくださいました。
イエスを救い主と信じた瞬間からの歩みは、今までの自分の努力による生き方とは全く異質のものとなります。好みも変わるし、求めるものも、人生に望んでいることも変わっていきます。
でも、そういった変化があることを知らずにいると、相変わらず今まで好みや、経験で得てきた生き方に固執してしまい、本当に葛藤するし、苦しみます。
あ〜、ホントウに私がそうでした。いまでも、「あ、また!古い生き方をしてる。イエス様によって生きてるんだった。」と気づいて、新しい生き方に戻ることもしばしばです。
イエスが教えてくれている、新しい生き方というのはコレです。
マルコ4章26節
信仰によって実を実らせるには、内にある信仰の種の成長が必要です。その種を成長させる事を自分の努力、計画、行動でしようとするのが、古い生き方。
…「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、27夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。28地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。29実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです
信仰によって実を実らせるには、内にある信仰の種の成長が必要です。その種を成長させる事を自分の努力、計画、行動でしようとするのが、古い生き方。
種は、自分で体を伸ばしたり、成長を早めたりして頑張っていませんもんね。
それと同じで、私たちの内にある信仰の種が、今この瞬間も神様によって成長させてもらってる…。と、神様に『信頼』していることが大切だと分かりました。神様にお任せして、自分で足掻かない!
そして、好みが変わっていくのを安息の内に受け取っていきます。いえ、それは「古い好み」とイエスによる「新しい好み」とを交換していくという感じでしょうか。
私たちの側でおこなう、唯一の努力といえば、信頼し続けるということだけのようです。
それはとてもワクワクする、希望の伴うものだと、今は実感しています。