2013年7月23日火曜日

走るときにある喜び

最近、ジョギングをするようになりました。

お昼のウォーキングをするうちに、物足りなくなって、朝や夕方も近所を歩くようになり、さらに気分がよくなって、6月頃からは軽く走るようになりました。

とくに、ポピーは設備設計の補助をしているので、一日ずっと座っています。
なんだか、滞ってる感じがして、動きたいんですよね〜〜(^^;
今は、16時くらいになると、早く帰って走りたくて、うきうきソワソワしています。

走りにいくと、風や虫の声、雲や木々、草花、動物たちが目につくようになります。
身体全体がイキイキとしてきます。汗が、身体が気持ちいい!

走り始めは、まだ少し苦しいんですが、身体と呼吸が規則正しく整ってくると、ゴールも忘れて走り続けそうです。後から風におされて、フワっと飛んだような感じの時もあって、面白いんです(^^*)

あと収穫だったのが、走っていると、なんだか思考が解放される感があるんです。
どうもポピーは過度に思考が走りすぎることがたまにありまして、頭の前の方がいっぱいいっぱいになっちゃうことがあるのです(==;今までは、そういう時は何をしても無駄なので、さっさと寝るようにしていました。(変ですか?)

でも、ジョギングしていてノッてくると、自然と思考が消えてなくなり、なんというか思考が解放されるんです。イメージにシフトしてるのかな?とにかく、楽になります。

そんなとき、私たちの主イエスのこと、今この時にも注がれているイエスのいのち、全てを治めておられる父なる神様に思いが及ぶと、何とも言えず、喜びがわいてきます。自然と、賛美が思いのうちにあふれてくるようです。


今日は、満月を見ていました。
とてもくっきりと、大きく、そして明るい満月です。

月は、自分では輝く事はできませんね。月の輝きは太陽に完全に依存してます。
あの月の明るさは、太陽の光。
夜の暗闇のなか、どんなに一筋の細い三日月であっても、暗闇に消される事はありません。

まさに、私たちイエスを内に宿す者のようです。
私たちには輝くものなど何もありませんが、主イエスのいのちが輝きます。
イエスのいのちの輝きは、常に光り輝いています。

そのいのちの輝きを私も楽しんでいます。

毎日、主イエスの発見があります。
聖書のみことばが、生きたものになる、自分自身の経験となることは素晴らしいですね。

毎日のジョギングが、私の礼拝の時間になりつつあります。



ヨハネの福音書 1章 
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によら   ずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。


2013年7月9日火曜日

夏の近いこと 〜原発再稼働〜

ちょっと、まじめなお話。素人の一市民の素朴な思いです。


昨日、原発の新規制基準が施行され、電力会社の社長たちが、続々と再可動の申請を提出するのを見て驚いた。
北海道電力、東京電力、関西電力、大飯、高浜、四国電力、九州電力 …。ぞくぞくと。

なぜ再稼働させるのか、私には分からない。

申請する社長の方々は、一様に「電力供給の不足を補うために、再可動は必要。」と言います。一様に!それし言えないのかな。台詞がきまってるのかな。
だいたい、実際に電力が不足するの?それとも、よく言われているように、実際は足りていて、本当は稼働させたい別の理由があるのか。
(絶対、別の理由でしょう!って私は思っている)

福島は収束してないことは、明らかだと思う。私の家は、中日新聞をとっていますが、毎週、福島の原発の状況を図解でレポートしてくれている。しかし、中がどうなっているのかは、” 分からない” のです。

私は、釜の底がすでに抜けているのではと疑わずにはいられない。既に、燃料は地面に落ちているのではないか。もしそんなことがあれば、もう止める事などできない。地面を溶かして、延々と地下深く落ちていく。地下水に到達するなら、もう、日本の水は飲めないではないですか!

現状は、「電力不足を回避するため」なんて、のんきな事を言っているような状況ではないのではないかと思うのです。


今日の記事は、「避難先 県内に固執 −原発周辺市町村−」というもの。再稼働を申請している地域の人々の避難計画や避難先がきまっていないという記事だった。地震や津波で事故が起きた時の避難先。みな地元を離れるのを嫌がる。

でも、地震や津波が問題なのかな。
避難先に避難している状況って、どういう状況なのか…。

原発が事故を起こしたら、人の手では「管理ができない」こと。一度、放たれたらもう「コントロールできない」とこと。そして、それが人々のごくありふれた生活を破滅に至らしめるものだということ!それが原子力の一番の問題なのではないのでしょうか。

避難先を決めたとして、そこが安全となぜいえる?
原発が事故を起こしたら、放射能が拡散する。風に乗って、隣の国まで飛んでいくのに。日本は人の住めない土地になってしまう。人の住めない国土って、国が滅びるってことじゃないのかな。

そして、その事故は、もう起きてしまったじゃないか。
それで、なぜこの期に及んで、まだ原発を使い続けようとする!?

今日の別の記事では、福島原発の地下水から、セシウムが検出された記事が、大きく出ていた。ちっ地下水ですよ!?では、地下の水脈からどのようにそれが広がっているのか。
この知らせは、どの程度に深刻な事態なのか、私には判断がつかない。実感がつかめない。もっと、調べる必要がある。

だんだんと、放射性物質がすでに漏れているというニュースが出始めた。実際には、どこまで被害は拡大しているんだろう?親戚は神奈川に住んでいる。影響を受けていないのでしょうか。

放射性物質を摂取して内部被爆すると、取り込んだ放射性物質は排出されるまで、自分の遺伝子を傷つけ続ける。それだけでなく、長期に摂取していると、自分が放射線を発して、周りの人々を被爆させてしまう!

じわじわと、ゆっくり期間をかけて取り込むと、自分ではだるいとか、傷がなおりにくいとか程度で、自覚症状がないそうな。でもまったく健康な人のなかにはいると、健康な人は5mも近づくことができず、気分が悪くなると!本人は、いたってのほほんなのに。

いずれ、日本在住の私たちは、国外脱出ができなくなるかもしれない。なぜって、受け入れてくれる国があるでしょうか?
私たちは、日本に閉じ込められてしまうかも。そのときに、飲める水は、食べれる食物はあるのかな。いや、分かっていても、飲むし、食べるだろう。
そのときには、すべてが遅いのだから。

私たち、日本に住んでいる者のほとんどは、自分のおかれている状況が、客観的にみれなくなっているように思う。TVでは、お笑い芸人のクイズ番組やAKB48の総選挙、2〜3時間ののんきな特番ばかり。原発は、既に深刻な状況から脱して平和が戻ってきているかのように錯覚してしまう。でも、事実は違うんだ。


何が問題で、何が問題ではないのか。

これを見分ける洞察力の鈍化が、一番大切な選択の岐路にあって、正しい方を選べなくなってしまうのではないかと、恐ろしく思うのです。


絶えず、主イエスの御声を聞いていたい。どうか、私たちを主の御翼のかげに入れて、守ってください。常に、真実を見出しますように。
主イエスが共にいて、絶えず教え、導いてくださる事に信頼します。



追記:
今朝、2011年3月11日の事故時に現場指揮をとられた、福島第一原発の吉田昌郎元所長が亡くなられた。事故後、食道ガンにかかられ、一年後に脳卒中で、自宅療養されたとのこと。震災当日に現場にいて指揮を取られた方が亡くなってしまった。貴重な証人のお一人だったはず。




2013年7月3日水曜日

ある日の夢の話 〜金のしゃもじ〜

私は、たまに夢をみます。
夢占いは(もちろん)しませんが、何やら印象に残って、教えられる夢があったりするので、ちょっと面白いんです。

ある日見た夢の分かち合いです。

**********

「まねっこクリスチャン」であった私が、ついに人々につまづいて、イエス様を自分自身で求め始めたときでした。
でもそれは、まさに混乱に放り込まれたかのようだったのです…。

その頃には、人に相談しても、実際には解決するどころか、もっと悩み、束縛されるようになっていました。

「ああしなきゃ。こうしなきゃ。これはいけないこと。もっと悔い改めないと。自分がダメだからダメなんだ。ああ、イエス様は私を嫌いかもしれない…。」

どエライことになってました。
今こうやって思い出すだけでも、本当に暗闇のようです。オエ〜。

でも、自分で主イエスご自身を求めるようになってから、問題があっさり解決してしまったり、いつの間にか全く気にならなくなってしまった事柄がいくつもありました。

「なぁんだ!イエスさまご自身を知れば知るほど、自由になるんじゃないか〜!」
まさに、聖書のいう通り!

ヨハネの福音書8章31-32 
31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。 
32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

ああ、本当に単純な事だったのですね。

自分自身で、イエス様を求めなくては。
聖書の中に、また日々の生活の中に、そばにおられる主イエスを探し始めると、自然と御言葉が内に住むようになりました。そして、いつの間にか束縛が無くなっていったのです。
どうやら人任せでは、シンプルな真理さえ、つかむ事ができないようです。

でも、はじめのうちは自由に物事が考えれるようになって嬉しかったのですが、次に来たのはなんと … ” 激しい怒り ”でした。

「じゃあ、今までの指導は、アドゥヴァイス(← イヤミ入り)はなんだったの?全部、役に立たなかったじゃない。あんなアドゥヴァイス(← 怒り混入)で、余計に苦しんだよ!知らないなら、教えないでくれた方がよっぽど良かった!」

という、…まあ、逆恨みですよね。

イエスとの関係は、究極的に「イエスと私」二人だけの個人的な問題なんですから。私は、自立せず、完全に甘えていたのでしょう。御言葉を自分で調べることもしてなかったんですから。名付けて「甘ったれクリスチャン」
いやはや…。今は、申し訳なく思っています。

しかし当時、その怒りによって、私は憎しみの牢獄に入れられたかのように苦しみ始めました。その恨みつらみを四六時中、ずぅ〜〜っと!考えているのです。まさに憎しみの炎で焼かれているよう!本っ当〜に、参りました。

そんな、ある夜。このように祈りました。
「神様!牧師もリーダーたちも、本当に必要なことを教えてくれなかったじゃないですか!今までは、一体何だったんですか!」
完全に、人に依存しまくってますが、一方的にイエス様に訴えて、答えも待たずにさっさと寝てしまいました。

…、でも私は、そばにいたもう一人の方を完全に忘れていたのです。

その明け方の夢です。

・。・*。・*・。・・・

私は、大きなお茶碗と大きなお箸を持って、ご飯を食べています。
おかずは一切なし。

大きなお茶碗には、ものっすごくキラキラと輝いたご飯が山盛りです。
輝きすぎて、お米の一粒一粒が乱反射して見えないくらいです。透き通った、クリスタルのように美しいご飯です。

「うっわー!うっわー!おいしい!!お〜いしぃーい(感涙)!!」
と大興奮で、ハフハフ食べています。

ご飯が無くなると、これまたすご〜く大きな、透き通るような金色のしゃもじ(滑り止めのツブツブ付)が現れて、ご飯をよそってくれます。

惜しげもなくご飯が山盛りに盛られるので、嬉しいのなんのって、
「うわー!うわー!うぅ〜わぁ〜〜あ♡(更に感涙)!!」(←興奮しすぎですが)
と喜んで、さらにご飯をホッペタ一杯にほおばりました♪

・。・*。・*・。・・・

と、いう夢です(笑)
兄弟姉妹には、底なしに食べるポピーというキャラクターなので、話してもただの食いしん坊と言われてしまいますが。

でも、目が覚めて、この夢を思い出した瞬間、お言葉がありました。

『私は今まで、こうやって養ってきたではないか。』

その瞬間、思わずお布団にひれ伏しちゃいました!(←ホントにやった)

そうです。そうなのです。
私は、この期に及んで、まだ ” 「人」のアドバイス ” に固執していたのです。

主イエスが注目していたのは、みことばのご飯(パン、食事)だけのようです。

牧師もリーダーたちも、実際に正しことばかりではありませんでした。しかしその人々を通して聖書のみことばは、与えられてきました。聖書に親しむ習慣は、ちゃんと養われていて、通読も一年に一度はいただいていました。暗唱した聖句も、いくつもあります。

そこには、牧師やリーダー、兄弟姉妹たちの助けがあったことは事実です。それは、十分に感謝すべき事だったのだと知らされました。

私自身が、聖書のみことばの真価を知るのは、まだまだ先のことになりますが、みことばの価値を主イエスご自身は、もちろんご存知です。

主イエスはいつも私のそばにいて、ご自身が直接、時には人々を通して、みことばの糧で養ってくださっていたのです!
なかなか乳離れしない、甘ったれな者を忍耐強く育てて下さっていたのだと知り、悔い改め(主イエスの方へ方向転換!)、そして感謝したのでした。


**********

この時で、すべての混乱が解決したワケではなかったですが、主イエスは私が混乱を抜け出ることができるように、折になかった助けを与えてくださっていたのかな。と、振り返って思います。

さて、夢による「語りかけ」や「解き明かし」は、アブラハム、ヤコブから、ダニエル書などにもありますし、私はイエス様の手段のお一つなのだと信じています。
とはいえ、意味の分からない夢に固執することは、注意深く避けなければなりませんね。

他にも、いろんな夢の話があるので、また「ある日の夢の話」シリーズでご紹介しますね♪


ではでは! 良い夢を…;)☆〃







被造物の輝き 〜小ガモ成長中〜

先日、お昼休みのウォーキングコースにいる小ガモちゃんを紹介しましたが、順調に成長中です。


エサ取りの練習中かな♪

結構、近づいてもすぐに逃げたりしないんです。慣れてるのかな。


お母さんは横目で見てます。見てます。

たまに、お父さん鴨も見かけます。
お父さんは、さすがに警戒を怠らず、近づくとクワッと向き直ってきますよ。


母:さ、場所をかえますよ

あ、行っちゃった。ちょっと、近づきすぎましたかね(^^)



母:ついてきなさーい。

なぁ〜んて、ステキ♪
こんなに近くに、野生の鴨の赤ちゃんの成長が見られるなんて、なんか、贅沢じゃないですかぁ〜(^∇^)♪

2013年7月1日月曜日

夏の近いこと 〜TPPについて②〜


しかし、ことはそんな単純なことだけではないようです。
こんな動画を見つけました。

グローバルフードシステムと呼ばれる世界の食料貿易動向および穀物メジャー企業の実態­についての調査研究の第一人者である、ブルースター・ニーンさん、キャサリン・ニーン­さんから、TPPについて、日本の人たちへ送るメッセージ


要は、TPPの意図とは、企業がもっと大きな特権と利益を得ようとするものだということのようです。

とくに、ポピーが気になるのは「特権」です。

TPPによって企業の持つ力が国よりも大きくなり、TPPの条約に則り、企業が国家を訴える事ができるようになるという事も聞いています。

国家という権威が低くされていませんか。なんだか神への畏れを感じます。
”商売”が、地球上で垣根をもたなくなるということですよね

「ワン ワールド」
最近は、このキーワードがとても気になるようになりました。

「商売」
これが、私たちの周りでどのような状態なのか、いつも気をつけている必要があるように思います。


ヨハネの黙示録 13章 17節

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。




追記:
黙示録には、商売についての記載が沢山ありますね。黙示録18章は、商売による栄華と崩壊が具体的です。









夏の近いこと 〜TPPについて〜

数年前から、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の話題を聞くようになって、今はそれが具体的に参加を決め、協議に入ろうとしているそうですが、皆さんはどう思われますか?

私は、まだ勉強不足ではありますが、思う事を分かち合いたいと思います。

TPPは貿易の関税を削減し、将来は完全に0(撤廃)にすることが約束されたものだと聞いています。


その時点で、違和感を覚えました。
私は、国というものは、神が意図して定めた境界によって成り立っているものだと理解しています。聖書にこうあります。

使徒の働き17章

26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。




それは、私たちが人生の中でキリストに出会い、父である神様に立ち戻るまでの間の神様の保護だとも思えます。国と国との境界線には、とても大切な意味があるように思います。

国って、一人の人間に例えることができないでしょうか?

国の中には、国を健全に営むための沢山の機能があります。この国に生まれた一人一人が各々の立場で、役割と責任を担う事で、一つの国が生きています。それぞれの歴史があり、文化があり、国民性などの性格があって、なんだか人みたいですよね。

私たちはそれぞれ、自分自身が何を受け入れて、何を受け入れないかを選択してます。それは、細胞のレベルから、私たちの意思の働きに至るまで、「吟味して、選択し、採否を決定する」という活動をしていますよね。

なんでもかんでも自由に、勝手に、私たちの身体にも、意識にも他者が入ってくるなんて、とんでもないです。そんなのゾッとしませんか。

何を受け入れ、何を受け入れないか。
それは、私たちに与えられている特権ですし、また逆に、最低限の責任だとも思えます。その責任を果たして、初めて一個人として、お互いに相対することができるように思うのです。

なんでもフリーに出入りできるなんて、なんだかクレイジーです。
関税を設けるのは、当然のことだと私は思うのですが、どうでしょう??