2014年4月18日金曜日

お気に入り… 岡田くん

すみません。どうぞ、スルーしてください~(´ ▽`)/


最近、急上昇でお気に入りなのがコチラ。V6の岡田くん。
努力家で読書家で、よくモノを考えている。家族思い。後輩思い。礼儀正しい。まじめ。ストイック、思慮深い。常識人 etc。そして、かなりのイケメン


SP」の頃から、お気に入りだったけど、最近とくにお気に入り♡


かんぺきや


岡田くんが、会社にいたとする

かなり、真剣に仕事をすると思う。
雑念の一切を全て振り切ってる。クオリティ上がる。

机の上は綺麗にする。
今も綺麗だけど、もっと綺麗にする!毎日、ウェットテッシュでふく!
紙コップで作ったペン立てはやめる。カスタムメイドで使いやすいけど。

他の女子と話していても、自制する。動揺を顔にださない!余裕を保つ!

職場は制服だけど、行き帰りの私服は絶対に手抜きをしない。

お昼の公園の30分間の散歩は欠かさない。チャンスを待つ!

メイクもナチュラルだけど、一日崩れない、くすまないメイクを研究する。

美容院は、月に一度はいく。

基礎化粧品をワンランク上げる。

ユニクロは卒業。下着もワコールにする。深い意味はない。見えない所から!

ナチュラルな香水を探す。自然な風に香るようにまとう。

部屋に花やグリーンを増やす。部屋のカーテンを水色にする。何となく。

洋服のジャンルが変わる。甘すぎず、辛すぎず、流行にとらわれないスタンダードなもの。
しなやかな、女性らしい服装。

22時には寝る。早起きをする。朝のランニングを継続する。

ストレッッチで身体をしなやかに、柔らかくする。

読む本のジャンルが変わる。(現在「秘録 陸軍中野学校」←こらこら)

25年ぶりに剣道の型を習いを始める。(岡田くんは居合。私は型)

・・・・・

なるほろねぇ。アコガレの存在が近くにいると、人って変わりますのね。
なんか、研ぎすまされて、根本から変わろうとするってのが分かりましたワ。
神様の意図したBestな状態への余地が、まだまだ満載にあるようです。

そっか~。
もっともっとイケるな。私~~~*


追記:
過越を思いめぐらしてたです…。ふ〜む。どうやら発想が逆のようですね。

↑コレ、全部、本来自分がしてたいことだもの。
こうなってるほうが、自分はもっと楽で、楽しい*
そうしてないことに、かすかなストレスを持ち続けてるってことありますよね。

むしろ、本来したい楽で心地良い生き方を妨げてる、けだるい思考や、必要の無いムダなことをして消耗してる事柄を ”止める” ことで、自然とこう↑するようになることばかり。
実際、その無駄な思考や行動に心当たりがいくつもあります…。

まだまだ、不純物があるものですね。純金のなかのかなかす取り除こ〜♫
もっと自由に、もっと心地良く、神様の大庭で生きられる*





2014年4月15日火曜日

過越の夜に思う…

出エジプト記 12章 13節
あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。

14日の18時から、過越の祭が始まりましたね。
とても美しい満月でした。神様の契約の印でもある、くっきり綺麗な円が輝いてました。

聖書を愛する友人たちも、おのおのが出来る範囲で、過越の祭を始めてます。
マッツア(種無しパン)を自分たちで焼いて作ってみたり、ワインや市販されているマッツァをゲットしたり、家族全員でイエス様が弟子たちと行ったような食卓をもったり…。
それぞれが、この約束された時に、神様の中へと入っていっています。

経験することって、本当に大切ですね。
経験することで、理解できることが本当に沢山あるのだと驚かされます。

神様が備えた例祭を初めてまともに意識してます。例祭のなかには、私たちが知らなかった神様の意図がたっぷりと詰め込まれてる。神様、私たちの主は、なんて素晴らしいんだろ。
私は、もっともっと主の意図を知りたい!


さて、私の過越の1日目は、いつもの如く、一人で静かに聖書の出エジプトを読んでました。
マッツァはクラッカーで代用〜。そして、あのパワフルな、世界にとどろく大国エジプトから引き出された大脱出と、この神様が定めた過越の祭に思いを巡らせていました。

私は、この世のエジプトから脱出しているってことが、本当の現実、真実であることに、大きなインパクトを受けています。昨年まで、頭では分かっているようでも、実際には四苦八苦していました。まだ奴隷の状態でいるってことに、本当に苦悩していました。

でも、今年になってから、ますます神様との関係が深まってきて、驚いています。
とにかく、聖書を知る事。みことばを知る事、理解することです。ホントにそうですよ。
ただただ、聖書のみことば(イエス)が、私をあるべき姿に整えてくれる。なんて心地いいことでしょうか。これをどう表現していいのか分かりません。

そうそう以前、教会で映画「十戒」を見ました。
災いが通り過ぎるために、家の門柱と鴨居に子羊の血をつけます。
災いは、門に血のしるしのある家を通り過ぎていきます。過ぎ越すワケです。

そのとき、その子羊の血こそが、私たちのメシア(救い主)イエスの血である事が分かって、本当に驚いたことがありました。驚きと共に嬉しさと喜びで、一人で興奮していましたっけ。

この子羊の血は、私たちのためです。血を流してくださった、子羊イエスのおかげで、私は生まれ変わっています。自分を悩ましていた、あらゆる性質がもう無いなんて、信じられますか?
でも現実に、すべて過ぎ去っていて、あんな(遠い目…)生き方をしようにも、もうできないのですよ。「おぇ〜」ってなるから(笑)ホントに。ははは!

私は聖書を覗き込みます。
私はどこから来たのか、私は何者なのか、私は今どこに生きているのか。
それが分かるたびに、なんだか目の奥が熱くなってしまう。

神ご自身が寝ずの番をしてくださった一晩。

聖書のみことばを眺めながら、ただ静かに、この心地良さに浸っていたい。

そんな過越の祭の始めの夜でした。