2013年6月26日水曜日

March for Jesus 2013 〜マーチ フォー ジーザス〜

みなさん、March For Jesus(マーチ フォー ジーザス)をご存知ですか?

6月8日(土)に、名古屋市 栄 の久屋広場で、第4回目の「March For Jesus」が行われました。

マーチについて、ウィキペディアからの抜粋です。
マーチ・フォー・ジーザス(March for Jesus)は、クリスチャンが行進する超教派のイベント。始まりは1987年にロンドン。三年間で英国、ヨーロッパ、北アメリカ、そして世界中に広がる。 
 1994年に最初のグローバル・マーチ・フォー・ジーザスがすべての時間帯を覆い、170カ国の1000万のクリスチャンを合同して行われた。最後のグローバル・マーチ・フォー・ジーザスの2000610日までに、総計6000万の180カ国のクリスチャンがイエスのために歩いた。 
 しかしながら、2000年のマーチの組織解散。その後もマーチ・フォー・ジーザスは、様々な指導によって多くの国々で継続されている。  
日本では小坂忠がディレクターを、1993年から2000年までつとめた。

この時代のマーチはポピーは全く知りませんが、大きなムーブメントだったようです。
日本でのマーチは、2009年に以下のような思いで再開されました。
「マーチ・フォー・ジーザス」とはどういう意味を持っているのでしょうか。 
私たちは、…「イエスがこの街の主であり、この国の王である」ことを宣言するためパレードを行います。信仰の行動としてパレードを行い、日本はイエス様のものであり、祈りで、この国を縛っている偶像礼拝のチェーンを霊的世界で壊すのです。 
我々クリスチャンが立ち上がり、イエス・キリストがこの国の神、そして主である事を表明する時です。 
私たちは、日本を愛しています。しかしながら、毎年いろいろな祭りが行われている中、クリスチャンは次第に、教会の中で内向きな信仰に傾きやすくなり、恐れを抱いてしまっています。私たちクリスチャンは、神の力と愛を持っています。 
このマーチに参加して、一緒に宣言しましょう。あなたの人生は新しく変えられるでしょう。そして日本も新しく変えられます。 
ぜひマーチでお会いしましょう!


2013年のマーチの案内


ポピーは、この2009年の初回に参加しています。大雨でしたが、2000人ほどが集まり、雨の中マーチしました。この時、ブラジルの方々が日本中から集まってきました。(参加者はブラジル人:日本人=7:3くらい)大阪からみんなで乗り合いで来たという方々は、喜びで興奮していて、またとても嬉しそうでした。

色とりどりの旗やプラカードを手作りしてきていて、その意気込みに驚いたのを覚えています。私はよく分かってなくて、手ぶらだったので(^^;

賛美、メッセージ、お祈りのあと、名古屋 栄の繁華街を「イエスはあなたを愛しています!」と伝えながら、2000人ほどが隊列をくんで、マーチします。

キリスト教メディアでも紹介されました。
http://www.revival.co.jp/2012/07/post-241.php (レポートは発起人のサントス牧師)


私は、2009年、10年、11年と参加しました。12年は主イエスとの関係を深める事の大切さを覚えさせられていて、イベントにはいっさい参加せずに主を求めていたので、マーチも不参加でした。

そして、今年。天気も快晴!しばらく曇りや雨だったので、マーチ日和です。




開始前。ぞくぞくと集まっています。

さて、マーチのイベントが始まりました。


しかし…。
なぜでしょう?私は、以前のようにこのイベントを手放しで、喜べなくなっていたのです。うまく言葉にできませんが、目に見えて違和感を覚えた事を上げてみますと、こんな感じでしょうか。

・賛美は、コンサートのようなステージや、ヒップホップのようなダンスです。キリストと世のエンターテイメントと関係が持てるのでしょうか。
・クワイヤーの賛美がありましたが、楽器やソロの方々の音響が大きすぎて、まったく聞こえません。
・ブラジルの方々のテンションにあわせようとする日本人司会者の方々。テンション上げていきましょう!的な司会は、無理をしていることは明白です(悲)「フォー!」「イエー!」うぅ…(T_T)要りますか?????
・マーチを送り出した後も、大音響のドラムやギターが、あおり立てます。ステージからは、かなり離れているのに、隣の人と会話もできません。暑い日でしたが、熱中症よりも先に爆音で心臓がやられそうでした。さすがにグッタリ…(==;


以前は、それは元気が良くて、祝福を表しているんだと思って(思い込もうとして)いました。一緒に「イエーイ!」ってやっていました。客観的に見る事ができず、都合の悪い事は見ないようにしていたように思います。

でも…、今はもう無理です!イエスが中心か?人が中心か?気になります。
どうしても全体がイエスのものだったとは、私は思えなかったのです。

マーチ自体、きっと初めはイエスへの純真な思いから出てきたものだったのでしょう。
また、ブラジルの方々は、年に一度、ブラジルから来ている兄弟姉妹と、キリストにあってマーチできることは、とても意義のある事なのかもしれません。ブラジルの方がテンション高いのも国民性ですよね。

問題は、私たち日本人です!
カーニバルみたいな文化のない私たちが、ブラジルの方に合わせて無理してテンションを上げても、それは聖霊による喜びとはほど遠い、まさに” フェイク(にせもの) ” ではないでしょうか。無理してるって、案外 見てて分かりますよね…?

たしかに、内向きになりがちな日本の教会には、外向きになる良い機会になるかもしれません。でも、だからといって、マーチに参加することで、本質までは変わりません。一週間後(いや、ほんの数日)には、ただの日常に返っているでしょう。

私は、イエスの証は、静けさから来るように思えて仕方ありません。

大きく、派手にイベントをすれば、気持ちも高揚し、証もできるような ” 気分 ” になります。「みんなで渡れば怖くない。」って感じでしょうか。

でも、日々の日常の中で、イエスのいのちによって生きる事のほうがずっと大切で、かつ影響力のある事だと思うのです。そこで初めて、証が生きるのではないでしょうか。

地の塩、世の光であるのは、日常の中。いつもの隣人、家族、友人、職場の中でこそ求められている事だと思わされます。

決して、マーチが不要だと言っているのではないのです。マーチ自体は良いものです。
また、喜んで参加している方々も一人一人の信仰で参加されているので、なにも問題はありません。

ただ、喧騒が際立ち、興奮があっても平安がないなら、なんの証になるのだろうと思うのです。

人々の関心を真にイエスへと導くのは、平凡な日常の中に溶け込み、十字架によって新しくされた者として、主を知り、肉ではなく、御霊によって歩むことだけが、求められているように思います。


ヨハネ3:30
あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。


主イエス・キリストとその十字架が、人々に証しされますように。


2 件のコメント:

  1. 私も随分以前に1度参加したことがあります。ポピーさんは違和感をきちんと分析していますね。偉い!(^^ゞ私なんか、“もう行かない。”で終わってました。
    この行進の目的は何なのでしょう。伝道?証?
    国民性の違いは大きいです。南米系の人々の明るさを日本人が真似ても確かにムリがあります。自然体が私にはしっくりくるので、自然にしていたいです。

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    1. Hitomiさん、コメントありがとうございます!返信、おそくなっちゃってスミマセン。どーも、iPhoneからではコメントが打ち込めず手間取りました(^^;
      マーチの目的は、信仰をマーチという行動で表して、「イエスこそこの町の主です!」と人々に知らせるという事のようです。外側からみたら、どう見えるんでしょうね。でも、好印象の方もおられるので、一概にNG(No Good)!とは言いませんが。

      ピリピ人への手紙 1章 18節
      すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。

      ふむぅ、そうですか〜。では、私も喜びましょう(^〜^)>
      でも、どうか内輪の盛り上がりになりませんように。ですネ。

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