「永遠の0」を鑑賞してきました。久しぶりの映画館での鑑賞です。
ポピーは、「SP」のころから、岡田君がお気に入りです。
お顔の造形も、と〜っても美しいのですが、堅実な努力家、勉強家なのと、なかなか分別のある常識人なところも魅力的なのです。
さて、「永遠の0」
「必ず生きて帰ってくる、たとえ腕が無くなっても、足が無くなっても、戻ってくる」
「たとえ死んでも、それでもぼくは戻ってくる。生まれ変わってでも、必ず君の元に戻ってくる」
「海軍航空隊一の臆病者」「何よりもいのちを惜しむ男だった」
そのように評された主人公の祖父、宮部久蔵。
この映画は、戦争、零戦、特攻などを扱うために、右翼?零戦美化?などなど、色々な評があるようですが、受け取り方は人それぞれ。
健太郎と慶子の実の祖父で、清子の父親。巧みな操縦技術を持つ航空兵であったが、妻子を案じ「必ず生きて帰る」と公言していた。命を重んじる思考から上官に意見することもあり、「臆病者」と称された。
毎晩鍛錬に努め機体整備にも気を遣い、恐ろしく慎重な操縦で、実戦において無理に撃墜するより撃墜されないことを説いた。下の物へも丁寧に話す様は馬鹿にされるほどであったが、教官としては非常に厳しく、暴力に訴えることは一切なかったが学生の反感を買った。
空母赤城の戦闘機パイロットとして真珠湾攻撃に参加し、ミッドウェー海戦での赤城喪失後はラバウル航空隊に配属され、一度内地へ帰還。筑波海軍航空隊で教官を務めた後、鹿屋海軍航空隊の鹿屋飛行場から特攻に出撃し、米空母タイコンデロガに突入して未帰還となる。享年26歳。
(ウィキペディアより抜粋)
この映画は、戦争、零戦、特攻などを扱うために、右翼?零戦美化?などなど、色々な評があるようですが、受け取り方は人それぞれ。
私が一番、印象に残っているのはこのセリフでした。(少々相違があるかもしれませんが、ご容赦を)
「宮部は、臆病者なんかじゃなかった。自分が死ぬ事で奥さんと子供の人生が壊されないよう、生きて守ろうとしていたんだ。」
始めのうちは、自分自身が妻と生まれたばかりの娘に会いたいからかと思っていました。
そして、妻と子を悲しませたくないから、家族で平和に暮らしたいから。だから、何としても生きて帰ろうとしていたのだと思っていました。
でも、そうではなかったです。
そういった感情的な目的のためだけではなかった事に、とても考えさせられました。
一家の主人として、家族を養い、家族の生活、人生を守る責任を果たす事を一番に大切に考えた故の、「絶対に死にたくない」「必ず生きて帰る」だったのです。
それは、悲しみによって、妻と子の心に大きな痛みを与えたくないという思いも含んでいると思います。
「必ず生きて帰ってくる、たとえ腕が無くなっても、足が無くなっても、戻ってくる」
「たとえ死んでも、それでもぼくは戻ってくる。生まれ変わってでも、必ず君の元に戻ってくる」
彼がなぜ特攻を選んだのか。その答えは、最後まで分かりません。
あまりにも追いつめられた状況の中、その心中は本人にしか分かるものではないのだろうと思います。
でも、「必ず帰ってくる」という、彼の真意が分かるのは、彼が無くなってから2年半の後となります。そのような約束の守り方であったのか…。この平和になれた時代で育った私には、単純には消化しきれない、色んな思いが去来しました。
でも、強く覚えたこと。
それは、本当に大切なものは、どの時代であっても同じなのだというです。
家族と共に、与えられている日々の生活を生きる。
最大限のいのちを輝かせて生きること。
どこかではない、今ここで。今いる家族、また周りにいる人々と共にです。
それが実は、何を犠牲にしてでも守る必要のある、一番の優先事項なのだと思いました。
そして、それが自分自身をも守ることになると感じています。
でも、それを一番とは思わせない思想が、いつの時代にもあるようです。
戦争中なら「国のため」でしょうか。
現代なら、「会社のため」「お金のため」「夢のため」「自己実現のため」とか?
キリスト教界なら、「”伝道”のため」「”教会”のため」「”ヴィジョン”のため」などなど。
色々な思想が、真実の一番大切なものを見えなくさせてしまうように思います。
そんな、色んな思想、色んな影響力の中でも、私たち一人一人の人生の「生きる」ことで、一番大切なものが何であるかに気付いたときに、惑わす思想を振り払うことができるのかもしれません。
だからでしょうか。
一番大切なものを守るため、回復させるため、修復させるために「生きる」ことの責任が私にも与えられていることを知ったあのとき。だから私は、いのちの静かな喜びを味わうようになったのかもしれないと気付いたのでした。
それは、神のすでに成し遂げられた修復の業の現実。神の園の内に生きている真実を受け取ることに、今こそ既存のすべてを捨ててでも、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして取り組むのだと悟った、その時でもあったのです。

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