2014年2月14日金曜日

雪景色〜!


朝、起きて窓の外を見ると、一面の雪景色!
ここは、どちらかというと温かい地方なので、こんなに雪が降ることも、つもることも珍しい出来事です(^^)

電車は動いていますが、駅までの移動が危険なので、自宅で様子を見ています。






ソチオリンピックでは、羽生結弦選手が、国際大会のSPでは史上初の100点越えっていう高得点でSP1位!すごいゾ~!
そして、高橋大輔は4位、町田樹は11位。
これからのフリープログラムがとても楽しみですね。





はじめ、羽生選手が登場し始めたときには、肩にリボンのオトメン(乙女+Man)ぶりに、「なんじゃこやつは~!」とか思ってたポピーです(^^;)
でも、うちに秘めた闘志は、なかなかの男前!

先日、羽生選手の特集が放送されていましたが、彼はプログラムの構成をノートに書き出し、注意するところや、意識するところを細かく記入して確認をしているそうです。
始めから終わりまで、まさにその隅々までを把握して、自分自身のものにしようとしていました。

こういった積み重ねが、あの安定した演技になっているのでしょうね。
たいした19歳です。感心感心~~(^0^*)!

ポピーは、日々の営みのなかで、「努力」というものはいのちの一部なのだと思っています。
あれこれ苦しい思いをするという「苦労」じゃないですよ〜どよよ〜ん(-”-)
「努力」 心を込めて事にあたること。(骨をおって)事の実行につとめること。つとめ励むこと。の方です(^0^)

以前は、”「努力」自体も人の手の業なのかな?” と宗教的に考えていたので、何に取り組むでもグッと打ち込む事ができず、もの凄くフラストレーションを感じてたんですよね(-_-;) なにやってたんだか

私たちの「救い」自体は、神様の一方的な御業!
そして、一人一人の人生の営みは、その完成され回復された主の懐のうちで「喜び」「楽しん」で人々と共に生きる事!
その中には、与えられたものを用いて健全な努力をすることも含んでいるのだと思っています。

なぜって、何かにチャレンジするとき、または何か問題が起きたとき、これを主と共に、主の知恵によって乗り越えよう!と前を向いて行動しているとき、どうでしょう?

私はそこに、喜びがあるのを経験してしまうんですよネ(^^)


2014年2月11日火曜日

「永遠の0」




「永遠の0」を鑑賞してきました。久しぶりの映画館での鑑賞です。

ポピーは、「SP」のころから、岡田君がお気に入りです。
お顔の造形も、と〜っても美しいのですが、堅実な努力家、勉強家なのと、なかなか分別のある常識人なところも魅力的なのです。


さて、「永遠の0」

「海軍航空隊一の臆病者」「何よりもいのちを惜しむ男だった」
そのように評された主人公の祖父、宮部久蔵。
健太郎と慶子の実の祖父で、清子の父親。巧みな操縦技術を持つ航空兵であったが、妻子を案じ「必ず生きて帰る」と公言していた。命を重んじる思考から上官に意見することもあり、「臆病者」と称された。
毎晩鍛錬に努め機体整備にも気を遣い、恐ろしく慎重な操縦で、実戦において無理に撃墜するより撃墜されないことを説いた。下の物へも丁寧に話す様は馬鹿にされるほどであったが、教官としては非常に厳しく、暴力に訴えることは一切なかったが学生の反感を買った。
空母赤城の戦闘機パイロットとして真珠湾攻撃に参加し、ミッドウェー海戦での赤城喪失後はラバウル航空隊に配属され、一度内地へ帰還。筑波海軍航空隊で教官を務めた後、鹿屋海軍航空隊鹿屋飛行場から特攻に出撃し、米空母タイコンデロガに突入して未帰還となる。享年26歳。
(ウィキペディアより抜粋)

この映画は、戦争、零戦、特攻などを扱うために、右翼?零戦美化?などなど、色々な評があるようですが、受け取り方は人それぞれ。

私が一番、印象に残っているのはこのセリフでした。(少々相違があるかもしれませんが、ご容赦を)

「宮部は、臆病者なんかじゃなかった。自分が死ぬ事で奥さんと子供の人生が壊されないよう、生きて守ろうとしていたんだ。」

始めのうちは、自分自身が妻と生まれたばかりの娘に会いたいからかと思っていました。
そして、妻と子を悲しませたくないから、家族で平和に暮らしたいから。だから、何としても生きて帰ろうとしていたのだと思っていました。

でも、そうではなかったです。
そういった感情的な目的のためだけではなかった事に、とても考えさせられました。

一家の主人として、家族を養い、家族の生活、人生を守る責任を果たす事を一番に大切に考えた故の、「絶対に死にたくない」「必ず生きて帰る」だったのです。
それは、悲しみによって、妻と子の心に大きな痛みを与えたくないという思いも含んでいると思います。

「必ず生きて帰ってくる、たとえ腕が無くなっても、足が無くなっても、戻ってくる」
「たとえ死んでも、それでもぼくは戻ってくる。生まれ変わってでも、必ず君の元に戻ってくる」



彼がなぜ特攻を選んだのか。その答えは、最後まで分かりません。
あまりにも追いつめられた状況の中、その心中は本人にしか分かるものではないのだろうと思います。

でも、「必ず帰ってくる」という、彼の真意が分かるのは、彼が無くなってから2年半の後となります。そのような約束の守り方であったのか…。この平和になれた時代で育った私には、単純には消化しきれない、色んな思いが去来しました。

でも、強く覚えたこと。
それは、本当に大切なものは、どの時代であっても同じなのだというです。
家族と共に、与えられている日々の生活を生きる。
最大限のいのちを輝かせて生きること。
どこかではない、今ここで。今いる家族、また周りにいる人々と共にです。

それが実は、何を犠牲にしてでも守る必要のある、一番の優先事項なのだと思いました。
そして、それが自分自身をも守ることになると感じています。

でも、それを一番とは思わせない思想が、いつの時代にもあるようです。
戦争中なら「国のため」でしょうか。
現代なら、「会社のため」「お金のため」「夢のため」「自己実現のため」とか?
キリスト教界なら、「”伝道”のため」「”教会”のため」「”ヴィジョン”のため」などなど。
色々な思想が、真実の一番大切なものを見えなくさせてしまうように思います。

そんな、色んな思想、色んな影響力の中でも、私たち一人一人の人生の「生きる」ことで、一番大切なものが何であるかに気付いたときに、惑わす思想を振り払うことができるのかもしれません。

だからでしょうか。
一番大切なものを守るため、回復させるため、修復させるために「生きる」ことの責任が私にも与えられていることを知ったあのとき。だから私は、いのちの静かな喜びを味わうようになったのかもしれないと気付いたのでした。

それは、神のすでに成し遂げられた修復の業の現実。神の園の内に生きている真実を受け取ることに、今こそ既存のすべてを捨ててでも、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして取り組むのだと悟った、その時でもあったのです。

2014年2月8日土曜日

地元のマラソン大会 完走〜♫




♫ 閑話休題 ♫

先日、地元で開催された人生初☆のマラソン大会に参加しました!

今回は初めてですので、まずは「8kmコース」にエントリー!
「8kmを1時間で走れる方」とありましたので、事前に当日のコースを走ってみると、55分かかりました。ギリギリです(^^;)

でもまあ、一応1時間内ですし、きっかりで打ち切るほどご無体なことはないでしょう!
はりきって、参加してきました。

受付に行ってみて、ビックリ!すごい人です。
いやいや、我が地元「○○町」には、こんなにマラソンする人がいるのかと驚きました。

何か、郷土愛まで感じちゃったりして♡
初対面でも打ち解けやすくて、スタートまでの時間待ちのあいだ、情報交換したり、和気あいあいとおしゃべりしてるんですよね。
こういうの、ポピー大好き(^^)!

当日は、そこまで寒くなく、ちょっと曇りで、ランニング日和!
風は結構、ビュ~ビュ~吹いてましたが、走ってるときには、これが意外に気持ちよかったです。

私のエントリーした8kmコースのエントリーは老若男女850人。結構な人数です。
自信のある人は、前の方に。まずは完走目指す人は、後の方に並びます。
並んでから10分は待つので、筋肉が冷えないよう、ずっと動かしたり、エクササイズしたりして待ちます。

そして、一斉にスタートぉ!
どお見ても、途中で行き倒れになりそうなご年配のおじいさんやおばあさんにも、スイスイ抜かれて行く私…(^^;) みなさん、日々どんなトレーニングをしてらっしゃるのかしらん??

家の家族は、こんなプラカードで応援です。
ありがとよー!



疾走感あるぅ〜!


甥っ子が書いた私の似顔絵。目がでかい☆


走っている時は、沿道から色んな方が声援を送ってくれていました。

老人ホームでは、車いすに座ったご年配の方々が、笑顔でエール!
町のゆるキャラ君たちも、いろんな所に先回りして励ましてくれます。
思った以上に嬉しいもんです(^^)

でも、ちょっと応援の仕方のお願いが~。
「大変だけど、がんばって~!」「これから、上り坂だけど、がんばって~!」
「えらいね~。がんばれ~!」

これ、ちょっと重いんスよね。
たぶん、自分はマラソンは大変そ~って思ってるので、こうなっちゃうんでしょう。
まあ、分からないでもないですが(^^;)

ランナーは、好きで走ってます。めちゃ楽しみにして走ってますよ!
ランナーズハイなんて来たら、とっても気持ちよいし、病み付きなんです。
上り坂でも、それが好きな人もいるんです。私も上り坂スキ~♫

ポピーとしては、こういうのが嬉しかったな♫
「いい調子ですよ~!」
「マイペースで~、マイペースで行きましょう!」
「ファイト~!」
「もうすぐゴールだよ~!」
「あと一息~!」


あと太鼓とかで、「ドン・ドン・ドン!ドン・ドン・ドン!」
これも、ペース持ってかれるぅ~!
リズムは、「ドコドコドンドン!ドンドコドンドン!」と、細かくバラバラな方がありがたいっす。
どうも影響されちゃって、足運びや呼吸が乱れちゃうんですよね。
まあ、私がまだ慣れないってのも、ありますけどね。

抜きつ、抜かれつしながら、ついにゴールに向かって直線道路にきたら、残りのスタミナを全て投入して、全力疾走~~~!!!
白いパーカーの女性とデッドヒートを繰り広げ、なんとか逃げ切りでゴールイン!!!



最後のスパートじゃ〜!

ゴールしてすぐ記録証が貰えます。ハイテクゥ!

今回は、事前Runより5分短縮して、49分で39位!

私の父がたの従兄弟のトコの子は、中学生の部で1位と、入賞がでています。
長距離が得意な家系なんですよね。
私も、次回は30分台で20位以内を目指そうと思います!


15年目ですが、近年、本当に参加者が増えたそうです。
ランニングブームですよね。でも私も走るようになって、納得しています。

とても、気持ちがよく身体的にも精神的にも、とても良い影響があります。
日々にメリハリがでるのです。気分も頭もすっきりしてきます。
習慣になってくると、走りたくて、ウズウズするほどです。
ホントに、気持ちが良いのです。

私のランニングに甥っ子(4歳)がついてきますが、最近はパパをせかして走りに行ってるようです。来年は、「一人で出る!」と言っています(かわいい♡)

妹たちも、0歳児の手が離れたら、走ると言い出しています。
ファミリーマラソンの部もあるので、それに出るとのこと(^^)

母は、マネージャーとして自転車でタイムをはかり、父はカメラマンとして会場で撮影してくれます。
家族で取り組めることができたことは、予期せぬ収穫でした。
なぜか、ホノルルまで妄想が広がってます(笑)

また秋に隣町のマラソン大会があります。
タイム更新を目指して、楽しみながらトレーニングをしています(^▽^)/


□ 追記
ちなみに、走った後は、すぐに汗を拭いて、着替えましょう!
放っておくと、体調によっては低体温になって、頭痛とかきちゃんです。
私が、それになっちゃった~(*▽*)!
身体を暖めて、2時間寝たらなおったけど。

楽しむためには、走った後まで、しっかりケアしすることが大切ですね(^^)

振り返って…② 捜し求めるなら、見つける


エレミヤ書 29章 13節
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

”教会”のことについて、このまま忘れてしまおうか、どうしようかと昨年から考えていましたが、9年間とはいえ、人生の一部に強く影響を受けて過ごした当事者として、一人の証人として、ブログに記録しておこうと思います。

目的は、ただ一つです。
真実を求めている兄弟姉妹の励ましとなるためです。

信徒であれ、リーダーであれ、牧師であれ、何かしらの指導者であれ…。
キリスト教界や所属する”□□教会”について、またイエスを救い主と信じたけれど、実際の自分自身の実情について疑問を覚えている方々がいます。

私は、正直な方々だと思いますよ!
ほとんどの方々は、自分なりに理由をこじつけてしまい、自分で納得。
決して真理に迫ろうとはしないまま、同じところに留まり続けているからです。

でも、疑問や違和感を持ってはいても、何がどうおかしいのか、判別できずに苦しんでおられるでしょう。
これは、仕方のない事なのです。
聖書の正しい知識がなく、私たちの理解レベルでは、読み取る事もできないからです。
互いに助け合う事が、本当に必要だと痛感します。

今、「本当の事が知りたい!」「聖書には、本当には何が書いてあるのかを知りたい!」と求めている兄弟姉妹が、沢山出てきておられます。

おそらく、まずは牧師や、同じ教会の兄弟姉妹に相談するでしょう。
でも、常に論点がズレていて、ほとんど会話にならないという苦しみを味わうと思います。
それで、次に多くの方が、ネットに情報を求めるのではないでしょうか。
そして、分かち合いをしている人々のブログなどに行き着くでしょう。他の人々も自分と似たような葛藤をもっている事に、容易に気付くと思います。
そして、問題のある教会として紹介されている事例が、自分の教会にもあることをみて、衝撃を受けるはずです。

実際、”教会” で置きている問題は、どれも似たり寄ったりなんです。
私は、本当に驚きました。
それだけ、閉塞した世界に閉じ込められていたということを思い知りました。
牧師が、いろいろと理由を付けて、外部との接触に難色を示す理由が分かります。

教会の ”外” の情報に触れる事自体に、罪責感を持たれる方も多いと思いますが、情報を得れば得るほど、真実に対して、目が開かれて行く経験をするはずです。

葛藤もあるでしょう。
でも、「真実を知りたい!」と調べる事は、むしろ主に賞賛されることです。
勇気をもって、調べ続けてください。
それを嫌がるのは、真実を知られては困る方々だけです。恐れる事などありません。

そんな、同じ苦しみを通った神の家族として、真実を求める方々を応援し、励ましたいと思っています。そして、私にとって助けとなった情報も、参考に分かち合いたいと思います。


私は、洗礼を受けて9年間通った”○○教会”を離れました。
それは「脱出」であったと思っています。

よくぞ、あのとき踏み切ったと、本当に主の内に安堵しています。


振り返って…① 守りたいのは、キリストによるいのち


ヨハネの福音書 10章 10節
盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

昨年のことをつらつらと思い返しています。
昨年、年の初めに「これだけはケリをつけたい。」と、切に切に願っていたことは、何年も悩み続けた「教会」に所属することの進退についてでした。

”この教会に、このまま通い続けることは、正しいことなのだろうか?”

説教の内容、日曜の礼拝、牧師とリーダーと信徒のあり方、行事、奉仕、学び(バイブルスタディや、セルリーダー研修)、献金、伝道、セルグループのあり方、交わり などなど。

もう、これだけははっきりさせないと、”人生が窒息させられる” と、本気で考えていました。
でも、”○○教会” に対して、また教会を取り仕切る ”牧師” に対しての批判(非難ではなく)は、神様に対して罪を犯しているのではないかと恐れ、板挟みになって苦しんでいました。

しかし今、私はもう「自分の受け取り方が間違っていたからで、批判的に捉えていた私が悪いのです。」とは言いません。
そうやって、何年も ”自分が悪い” と言い聞かせながらも、しかし常にある不条理に、大変な束縛をされて来てしまいました。

早く気付くべきだったことがあります。ざっくり言うと、この3点です。

・「現実」を客観的に見ること。
・聖書を正しく学び、神が意図した本来の意味を理解すること。
・人には、それぞれの責任の範疇というものがあるということ。

何が健全で、何が不健全であるかを常識をもって見分けることは非常に大切です。
主は「実によって」見分けるよう言われています。(マタイ7:16、12:33、ルカ6:44)
それには、実情を客観的に認識することが必要です。
そして、神の意図した御言葉の正しい理解がなければ、判別することなど出来ません。

そして、こうなります。”クリスチャン” にありがちな傾向の一つ、
「私が全て悪いんです。悔い改めます。」
「私も罪人です。あの人(あの事)を(無条件で)赦します。」

そのように、超自虐的になるか、反動で全て相手が悪いと裁くか。
どちらにしても、束縛による苦しみの道です。
それで当人は御言葉によって取り扱われることはありません。

表面的にはニコニコ朗らかで、仲良しに見えるのです。
でも実質は、違和感や嫌悪感、えも言われぬ不快感や理不尽への憤りによって自覚なく静かに、そして時には激しく魂を蝕まれ、キリストのいのちは窒息し続けることになっています。

個人個人の責任、役割の責任の線引きが曖昧になってしまい、主の前に本人が取るべき責任を取らせずに、他の人がその責任をかぶっている結果です。

この切り分けを聖書にから正しく学び取るならば、毅然として対応できた事なのですが、それがなかなかできませんでした。

なぜでしょう?
一つは、聖書を実際には分かっていないということ。
もう一つは、程度の差こそあれ、ある種のマインドコントロール下の置かれている状態になっているからです。


”○○教会”を出たということは、実質的に、私には”○○教会”に対して痛烈な「批判」があるからです。
そこに居続けることに、多大な害悪があると判断したからです。

愛する兄弟姉妹との交わりを犠牲にしてでも、キリストによるいのちを守る方を選びました。
人に従うよりも、神の御言葉に従うことの方が重要だと考えました。

実際、そうでなければ、人々との健全な関係を育む事などできません。
表面だけの良き関係など、主の目から見てなんの価値があるでしょうか?
違和感を持ちながら、それを分かち合う事のできない関係をどれだけ重ねて、何が育まれるでしょう?

聖書を愛する方々、主を真に求める人々と、神によって与えられたいのちを喜び合いたい。
それを豊かに保つよう、みなで一つ心となって生きたいというのが、私の切なる願いでした。

教会のヴィジョンなど、キリストによるいのちを損なうくらいなら、捨てた方がましです。
イエスがいのちをかけて成し遂げてくださったのは、私たちがいのちを得、それを豊かに持つためだからです。


つづく




Shabbat Shalom!新年 初更新〜


今日は、朝から雪景色。雨まじりの雪が、ずっと降っています。
こんな日は、ゆったりと自宅で読書でのしながら過ごすのが私は好きです(^^)

Shabbat Shalom

今日は、神様が私たちに備えてくださった、シャバット(安息日)ですね。

シャバットの意味をご存知ですか?私は、長らく知らなかったのですが~(^^;)

シャバットは「中断」「休止」「身を横たえて休ませる」という意味なんです。
人間が、すべての手の業、自分で自分を救おうとする手の業や努力など、一切のことを「中断」するように求められている日です。

何のためにでしょう?

それは、神様の創造の業が、7日間ですでに「完成」されている事を思い起こすため。
そして、アダム以降、神の園(エデンの園。歓喜の園)から追放され、神から離れて本来の姿を損なって生きてきた人生から、メシアによって神の園に戻り、今まさに神の歓喜の中で生きて ”いる” 事を思い出して、家族とともに喜びあい、また互いに愛し合い、修復し合うためです。

それが、神様ご自身が直接定めてくださった、7日に一度のShabbatです。

そうやって、7日ごとに私たちは、神の中で、一体となって生きている事を五感を通じて経験的に理解していくそうです。素晴らしい、神様のご配慮です。

今日からソチ・オリンピックが始まりましたね。
朝から、家族は開会式の様子を眺めていますよ。

でも、ポピーは、自室で静かに過ごしています。今日から、待ちに待った4連休です♫
この1月は、とても忙しかったです。ようやっと一息つけたように思います。

ま、「遊び」も忙しく、「家族の中での役割」にも忙しくなので、とても充実していたのですから、私に取って、本当に満足な一ヶ月でした。

それにしても、自分の手の業の一切を完全に中断するって、本当に解放感です。
身体も思考も休息して、健全さを取り戻していくのが分かります。

そうやって、また主とともに、人生の日々を豊かに歩んで行く事ができるなんて、神の私たちへの配慮や思いやりは、なんて温かいのだろうと感動しています。


いろいろと整理した事もありました。
せっかくの休日ですから、いくつか更新していこうと思います。

お付き合いいただけましたら、幸いです(^^)




2014年1月1日水曜日

新年!2014年

 新年のご挨拶を申し上げます。

みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします(^0^)/



  箴言 4:18 
義人の道は、あけぼのの光のようだ。 いよいよ輝きを増して真昼となる。



2014年1月1日