2013年7月3日水曜日

ある日の夢の話 〜金のしゃもじ〜

私は、たまに夢をみます。
夢占いは(もちろん)しませんが、何やら印象に残って、教えられる夢があったりするので、ちょっと面白いんです。

ある日見た夢の分かち合いです。

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「まねっこクリスチャン」であった私が、ついに人々につまづいて、イエス様を自分自身で求め始めたときでした。
でもそれは、まさに混乱に放り込まれたかのようだったのです…。

その頃には、人に相談しても、実際には解決するどころか、もっと悩み、束縛されるようになっていました。

「ああしなきゃ。こうしなきゃ。これはいけないこと。もっと悔い改めないと。自分がダメだからダメなんだ。ああ、イエス様は私を嫌いかもしれない…。」

どエライことになってました。
今こうやって思い出すだけでも、本当に暗闇のようです。オエ〜。

でも、自分で主イエスご自身を求めるようになってから、問題があっさり解決してしまったり、いつの間にか全く気にならなくなってしまった事柄がいくつもありました。

「なぁんだ!イエスさまご自身を知れば知るほど、自由になるんじゃないか〜!」
まさに、聖書のいう通り!

ヨハネの福音書8章31-32 
31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。 
32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

ああ、本当に単純な事だったのですね。

自分自身で、イエス様を求めなくては。
聖書の中に、また日々の生活の中に、そばにおられる主イエスを探し始めると、自然と御言葉が内に住むようになりました。そして、いつの間にか束縛が無くなっていったのです。
どうやら人任せでは、シンプルな真理さえ、つかむ事ができないようです。

でも、はじめのうちは自由に物事が考えれるようになって嬉しかったのですが、次に来たのはなんと … ” 激しい怒り ”でした。

「じゃあ、今までの指導は、アドゥヴァイス(← イヤミ入り)はなんだったの?全部、役に立たなかったじゃない。あんなアドゥヴァイス(← 怒り混入)で、余計に苦しんだよ!知らないなら、教えないでくれた方がよっぽど良かった!」

という、…まあ、逆恨みですよね。

イエスとの関係は、究極的に「イエスと私」二人だけの個人的な問題なんですから。私は、自立せず、完全に甘えていたのでしょう。御言葉を自分で調べることもしてなかったんですから。名付けて「甘ったれクリスチャン」
いやはや…。今は、申し訳なく思っています。

しかし当時、その怒りによって、私は憎しみの牢獄に入れられたかのように苦しみ始めました。その恨みつらみを四六時中、ずぅ〜〜っと!考えているのです。まさに憎しみの炎で焼かれているよう!本っ当〜に、参りました。

そんな、ある夜。このように祈りました。
「神様!牧師もリーダーたちも、本当に必要なことを教えてくれなかったじゃないですか!今までは、一体何だったんですか!」
完全に、人に依存しまくってますが、一方的にイエス様に訴えて、答えも待たずにさっさと寝てしまいました。

…、でも私は、そばにいたもう一人の方を完全に忘れていたのです。

その明け方の夢です。

・。・*。・*・。・・・

私は、大きなお茶碗と大きなお箸を持って、ご飯を食べています。
おかずは一切なし。

大きなお茶碗には、ものっすごくキラキラと輝いたご飯が山盛りです。
輝きすぎて、お米の一粒一粒が乱反射して見えないくらいです。透き通った、クリスタルのように美しいご飯です。

「うっわー!うっわー!おいしい!!お〜いしぃーい(感涙)!!」
と大興奮で、ハフハフ食べています。

ご飯が無くなると、これまたすご〜く大きな、透き通るような金色のしゃもじ(滑り止めのツブツブ付)が現れて、ご飯をよそってくれます。

惜しげもなくご飯が山盛りに盛られるので、嬉しいのなんのって、
「うわー!うわー!うぅ〜わぁ〜〜あ♡(更に感涙)!!」(←興奮しすぎですが)
と喜んで、さらにご飯をホッペタ一杯にほおばりました♪

・。・*。・*・。・・・

と、いう夢です(笑)
兄弟姉妹には、底なしに食べるポピーというキャラクターなので、話してもただの食いしん坊と言われてしまいますが。

でも、目が覚めて、この夢を思い出した瞬間、お言葉がありました。

『私は今まで、こうやって養ってきたではないか。』

その瞬間、思わずお布団にひれ伏しちゃいました!(←ホントにやった)

そうです。そうなのです。
私は、この期に及んで、まだ ” 「人」のアドバイス ” に固執していたのです。

主イエスが注目していたのは、みことばのご飯(パン、食事)だけのようです。

牧師もリーダーたちも、実際に正しことばかりではありませんでした。しかしその人々を通して聖書のみことばは、与えられてきました。聖書に親しむ習慣は、ちゃんと養われていて、通読も一年に一度はいただいていました。暗唱した聖句も、いくつもあります。

そこには、牧師やリーダー、兄弟姉妹たちの助けがあったことは事実です。それは、十分に感謝すべき事だったのだと知らされました。

私自身が、聖書のみことばの真価を知るのは、まだまだ先のことになりますが、みことばの価値を主イエスご自身は、もちろんご存知です。

主イエスはいつも私のそばにいて、ご自身が直接、時には人々を通して、みことばの糧で養ってくださっていたのです!
なかなか乳離れしない、甘ったれな者を忍耐強く育てて下さっていたのだと知り、悔い改め(主イエスの方へ方向転換!)、そして感謝したのでした。


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この時で、すべての混乱が解決したワケではなかったですが、主イエスは私が混乱を抜け出ることができるように、折になかった助けを与えてくださっていたのかな。と、振り返って思います。

さて、夢による「語りかけ」や「解き明かし」は、アブラハム、ヤコブから、ダニエル書などにもありますし、私はイエス様の手段のお一つなのだと信じています。
とはいえ、意味の分からない夢に固執することは、注意深く避けなければなりませんね。

他にも、いろんな夢の話があるので、また「ある日の夢の話」シリーズでご紹介しますね♪


ではでは! 良い夢を…;)☆〃







4 件のコメント:

  1. ポピーさん、今日も素敵なお話をありがとうございます。
    正直に、怒りや苦しみを書いてくださるので、その後の悔い改めや気付きも明確だし、読んでいて、とても爽やかです。ハレルヤって言いたくなります。神様は過程を大切にされ、決して、無理矢理一足飛びに悔い改めさせないで、一つ一つ押し込められた思いを取り扱ってくださるから嬉しいですよね。もし、怒りを主に表さなければ、押し込められたままで、取り扱いもなく、結果、感謝も出なかったでしょうね。夢を用いても主はかたってくださいますね。ポピーさんは、主にあいされてとても素晴らしいです。これからも、記事楽しみにしています。

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    1. makoさん、コメントありがとうございます!
      苦しみの期間は、結構長くて、そして私の憎しみは邪悪そのものでした。自分が怖くなりました。キリスト無しの自分は本当に邪悪であったと思い知った事は、真実を生きるための入り口となったように思います。いい人になろうと取り繕っているのは、主との出会いを先送りにしてしまうようですし、それってシンドイ生き方ですね。正直に主の前に出たいです。「パパ!」って神様のことを呼んでいいのですからネ(^^*)

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  2. アラ~、素晴らしい夢を与えられましたね!キラキラ輝くご飯をパクパク食べているあなたが目に浮かぶようです。(^^♪ (夫の質問なのですが)何杯食べたか覚えていますか?
    金色は神のIDを表す色のひとつですね。
    あなたの心の軌跡よくわかります。私たちつい人に頼りがちですが、正しい解釈の上に立ったならば、次は神ご自身から学ぶべきなのですよね。

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    1. Hitomiさん、コメントありがとうございます!こういう夢を見た目覚めは、なんだかさわやかで夢自体が明瞭なんですよね。とはいえ、フェイクもあるから気をつけなくちゃ。
      ストーリーでは、おかわりしたのは一回でしたが、回数の概念がないように思います。永遠に何度でもおかわりしているような雰囲気でした。求める限り、飢える事はないようです(笑)
      本当の教師、聖書の著者ご本人から学べるなんて、なんて素晴らしいんでしょう!もっと、もっと、主を知り、共に生きたいと願っています。

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