2013年11月11日月曜日

9年目の分岐 支流へと

みなさん、こんにちは(^^)
11月に入り、大分寒くなってきました。
どの季節も良さがありますが、ポピーは冬も大〜好きです。
寒いんですが、その分、お部屋を暖房で暖めてヌクヌクするのがたまりません♫
今は、どれだけでも温かく過ごす事ができますから、冬はあったかさの幸せ〜♡を感じる事のできる季節です。

さてさて、少々ご無沙汰してしまいましたが、この2週間ほどで、色んな事が激変してました(^0^;) 記録もかねて、ありのまま書いときます。

以前、教会から離れる事をひとり決意したことをお話しました。(「3年間で出した結論」)その時は、この葛藤を上手く説明できず、話の噛み合なさに対応できない事に非常に苦慮していました。
でも、その時から気になったいた聖書の言葉は…。


箴言 8:12
知恵であるわたしは分別を住みかとする。 そこには知識と思慮とがある。

う〜ん(汗)「知恵」とは「神の言葉」。すなわち「私たちの主イエス」ご自身のことです。イエスは分別を住かとしておられるとは…。8年も親しく集っていながら、黙っていなくなるって…。分別のある対応かしらん??購読してる雑誌だってあるのに、困らせてしまうやろ…。

でも「とにかく離れよう…!」とひとり決意した後、不思議な事に急激に思考が整理され、明瞭になっていくのに驚きました。
これならば、冷静に話ができると思い、「やっぱ、ちゃんと話をせねばっ!」と、思い切って所属していた教会の牧師先生と話をする機会を頂きました。
目的は?顔と顔を合わせて、ありのままを話をし、「信頼関係を取り戻すため」!

(電話するときは、なぜが心臓バクバク、お腹はピ〜、呼吸は浅く、目眩くらくら〜なほど、緊張しました。いや本来、緊張する必要さえないんですけど、なんででしょうね?)

とにかく聖書は「人間関係の健全」さ、「人々との関係をできる限り平和に保つ事」を求めておられます。神様は、人々が互いに健全に関係し合うこと、大切にし合うことを重視しているように思います。

その週末にさっそく時間を取ってくださり、”教会”において、私自身が疑問に思っていることについて、6時間も時間をとってお話しすることができました。(先生、ありがとうございます(感謝))

そこでの内容はダイレクトにあかしすることはしませんが、牧師先生の考えをできる限り聞かせて頂く事ができたかと思います。また、私自身が求めている事も、分かち合えたのではないかと思います。(だとイイな…^_^;)

それをふまえて更に2回、日曜の礼拝に集いつつ整理した結果、8年間集っていた教会を離れ、さらに聖書について深く学ぶことのできる教会に集うことを決めました。


11月3日(日)の礼拝後、牧師先生のところに尋ねて行き2点を理由としてお伝えしました。

▼一つは、もっと聖書自体を深く学びたいってこと。
一人の牧師先生からの教えだけでは、先生の理解範囲と理解レベルで頭打ちになってしまうので、自分はさらに深く聖書自体を学んでいきたい。

▼もう一つは、牧師先生からのトップダウン、右に倣えでの一致を目指した組織体系の教会より、牧者から御言葉によって養われながらも、牧者も信徒も一緒に話し合いながら、問題を解決したり、聖書を学んだり、ミニストリーを立ち上げたり、判別をしたりする教会(群れ)に集いたいということ。

牧師は静かに「分かった。」と一言いってから、「祈ります。」といって、なんと出立の祝福を祈ってくれました(ビックリ)!
そして、教会の交わりにも「もともと何の制限も設けてない」ので来ても良いといわれ、兄弟姉妹との関わりも持ち続けることができるようになりました(ビックリ)!
いや〜我らが先生は、さすが男前です(←ちょっと違うか)

私は「教会を離れる」っていうと、「断絶っ!」って感じに、とても破壊的なもののように思って恐れていました。まるで、自分の指を自分で切り落とすような辛さですよね。
(あ〜、だから今までは動揺して話ができなかったんでしょうか?)

とにかく、お互いに顔を合わせてちゃんと話をすること、分かち合う事はなんて大切なことでしょうか。
それをしないと、疑心暗鬼が、私たちの関係を破壊して行ってしまうようです。それはあの古い蛇の思う壷。そうはさせたくないですよね!



その日、そのまま会えるだけの兄弟姉妹に会って、教会を変わる旨を話し、挨拶をさせてもらいました。今まで、そんな事を考えていたなんて話してなかったので、驚かせてしまいましたが、この本当に麗しい神の家族の兄弟姉妹は、こんなポピーを残念がってくれ、またこれからの事を励ましてくれました。ありがとう。
「挨拶して出て行く人はじめてだ〜!」と笑ってくれた姉妹がいました。ほんとそうですね。いつの間にかいなくなっちゃう方が多かったナ。そんなの寂しいですよネ。
祈ってくれた姉妹たちにも、感謝。本当にありがとう。

これからは、モリエル・ミニストリーズで出会った方々の教会になんとSkypeで集いながら(←今風デス〜)、聖書を更に深く学んでいきます。
また、名古屋でのモリエルの聖書セミナーの手伝いを奉仕として手伝っていきたいと思っています。

とはいっても、またちょこちょこ今までの教会にも顔を出すので、みんなと近況報告でもできたら嬉しいな〜!


2005年の1月に、初めて教会にいってから、9年目ですね(今まで8年と思ってたけど9年たってた)色んな事があったけど、どれもすべて必要な事だったと思います。牧師先生や兄弟姉妹の支え無しには、のりきって来れなかっただだろうと本気で思います。
感謝・感謝・感謝です。


さて、これからは、主ご自身につながりながら、色んな兄弟姉妹と交わりを持って行く事になります。
ど〜なるのかは、今の時点ではまだ良く見えませんが、ただこの日常を主のいのちで目一杯楽しみながら、御言葉を通して主ご自身にグイグイ迫って行きたいと思っています♫


教会の牧師先生はじめ、兄弟姉妹を感謝し、また祝福を祈りつつ…!!!





2013年10月23日水曜日

『11月 モリエル名古屋セミナー』のお知らせ♫

みなさん、こんにちは(^^)
11月に、モリエルミニストリーズの名古屋セミナーが開催されますので、お知らせします!

こちらは、ポピー オススメの聖書の勉強会です(^^)
ホピーは、聖書を読み取るために「ヘブライ的世界観」を知る事がとても重要だと思っています。慣用句や数字、名前、土地などについて、ヘブライ民族では普通に理解されていた事が、私たちには分かりません。

私たちは、
「7」を見ると、「ラッキーセブン☆」
「4」は、「死」を連想して縁起が悪いとか言いますよね。

そういった日本文化に浸透している意味が全世界共通でないことは、誰でも知っています。聖書の世界も同じなんです。
ヘブライ文化で、どう意味するのかを知らないまま、私たち日本人の感覚で御言葉を読みとってしまうと、聖書を通して神様が明らかにしておられる事が、全〜然っ、理解できません。

聖書の言葉の意味が分かるようになると、聖書は本当に「足元を照らす明かり」「揺るぎのない岩」「私たちの砦」「歓喜の庭」である事が分かるようになります。
そして、「父なる神」「救い主イエス」の御顔が明瞭になってくるのが分かります!

そして、めちゃめちゃ楽しいですっ ☆**\(>v<)/**☆

聖書を愛する皆さんと、聖書を学び、味わい、楽しみ、語り合えたら嬉しいです。
ぜひぜひ、ご一緒しましょう(^▽^)/!



 ご案内の引用 ・・・・・・・・・・・・・・・
 ▼モリエルミニストリーズHP  http://moriel.jp/news/


ヘブライ人の世界観を使って聖書をより深く知ろう 
私たちはクリスチャンとして、聖書をより深く理解したいと願います。しかし西洋のクリスチャンは『ギリシャ的』な世界観をもっており、そのために聖書の教えがぼやけてしまうことがあります。 
ヘブルの本をしっかり理解するためには、ヘブル人のように読む方法を学ばなくてはなりません。一世紀のヘブルの聖書解釈法は『ミドラッシュ』と呼ばれています。 
このセミナーでは、聖書に関するヘブルの世界観を見ていきます。そして、イエス様、使徒たち、一世紀のユダヤ人クリスチャンたちがどのように聖書を読んだのかを考察します。その基礎的な手法のいつくかを紹介します。  
  
●聖書箇所の規則性をどう識別するか 
●関連箇所をどのように見つけるか
(これはとても重要です。よく見逃されがちな点です。)

●理解しにくい箇所を紐解く鍵となる一見変わった表現をどう識別するか

●旧約、新約をお互いの光に照らしながら、どのように読み、解釈することができるか
 

難しそうに聞こえるかもしれませんが、聖書に慣れ親しんでいる私たちには、実際は至ってシンプルです。このセミナーを通して、御言葉を愛する皆様が、今後の聖書の学びに役立つ実用的なコツをつかんでいただけることでしょう。 
日時:11月4日 月曜日(祝日) 
場所:名古屋市中小企業振興会館 第10会議室(和室・4階) 
   〒464-0856 名古屋市千種区吹上二丁目6番3号 
   (地下鉄桜通線 吹上駅から徒歩5分) 
   参加無料   
連絡先:ジェフ・トゥール  079-506-3508 morieljapan@yahoo.co.jp 

【午前の部】  
10:00〜11:30 律法を理解しよう「シャロームと平和の捧げもの」 
【午後の部】 
12:30〜14:00 予言書を理解しよう「主の日」 
14:15〜15:45 信仰を理解しよう「エムナー:ヘブライ的な信仰」

セッション1:「シャロームと和解のささげ物」
私たちは平和を作るように聖書で命じられていますが、それは実際にはどのような意味なのでしょう。今回は律法から初めて、聖書全体の「平和」の概念と、レビ記の和解のささげ物の規定を見ていきます。私たちの西洋的な平和の考えが、聖書のいう平和と大きく違うことが見えてくると思います。

セッション2:「主の日」
ゼパニヤ書をはじめとして、主の日について学んでいきます。主の日のテーマは旧新約聖書で強調されている、大きな預言的テーマです。その内容、目的、私たちにとってどう重要なのかを見ていきます。

セッション3:「ヘブライ的理解から見る信仰」
ユダヤ的観点から「信仰」を見ていきます。私たちは恵みによって救われたので、聖書的な信仰がどのようなものであるかを理解することは大切です。信仰が何であるかを理解するために、まずヘブライ語とギリシア語での信仰、「エムナー」と「ピスティス」から見ていく必要があります。現代では大半、または多くの信者たちが、信仰の意味を部分的または完全に誤解してしまっている状態にあります。

セミナー当日は質問や交わり、ディスカッションの時間が沢山ありますので、聖書とノートをお持ちになって、多く学んで帰ってください。


引用ここまで☆・・・・・・・・・・・・・


ポピーが思うに、大切なのは、自分自身で聖書を読み、理解できるようになる事です(^0^)

イエスを受け入れた私たち一人一人に、聖書を理解できる主の御霊が与えられているのですから、もっともっと高く、広く、深く、もっともっと本当の主イエスを知る事を追い求めたいと思っています。

あ!もちろん、「聖書にちょっと興味があるだけ〜」でも、まったく問題ナスです。
聖書は、誰を拒む事もありません。喜んで歓迎してくれるのが、聖書の御言葉です(-_^)b☆

当日、お会いできるのを楽しみにしています(^0^)/


新鮮な青草を楽しむひつじさん


2013年10月16日水曜日

あるサイトからのアクセスが!

皆さん、こんにちは。
昨晩の台風は凄かったですね。毎回、「今年最大級の…」といわれてますが、今回は「10年に一度の!」ということで、実際沢山の被害が出ているそうです。
こちらは、愛知県でしたので、朝には強風だけを残して台風は去っておりました。
でも昨晩までは、
「電車でも止まれば会社を休んじゃお〜♫」
とか考えていたので、被害を知るにつけ、反省を募らせています(汗)



これは何の皮膚でしょう〜か?

さて、ブログをされている方はご存知と思いますが、ブログを管理するページには参照元のサイトが分かるようになってるんですね。
どなたが来てくださったかは、コメントが入らないと全然分からないのですが、どのサイトを通してきて下さったか位は、分かるんです。

実は、9月の記事「なんてことだろう…!」で、動かされるままに記事を書いちゃったので、翌日ちょっと「皆さんの反応はどうかな〜?」と気になりまして、確認してみました。

すると、すっごく悪い感じの悪魔的なサイトから、しかも 「13件」の閲覧があったのです!
う〜ん、どちら様でしょうか(- -;)?よりによって「13」って…。まあ、よくできた偶然ですこと!おほほほ〜(^0^;)

英語でしたが、どこの国のサイトかまでは確認しませんでした。あまり、関わらない方がいいと思ってすぐに消しましたが、見た瞬間ゾッとしたのを覚えています。

さらにこの時、とても大切な友人とも、この記事が元でトラブルになりました。
幸い、とてもイエスに対して誠実に向き合っている方なので、逆に今は良き友人になる事ができ、古い蛇の策略は失敗に終わりましたが!ははは〜♫だ!


しかし、これは何かの偶然でしょうか?
実際、「聖書自体を学ぶ、理解する必要がある。」と言うと、とても特殊な反応を受けます。思った以上に怒りだしてしまったり、もしくはボ〜っとなって考えられないらしく、曖昧な返事しか返ってこなかったり。
あと、たまにあるのが別の話にすり替わることです。逆にコチラが「エ…?」っと、頭が一瞬フリーズします。

「コレは良い本だよ♫」と信仰に関する書籍を紹介すると、喜んで借りてくれます。
でも「聖書=イエスご自身を学ぼう!」というと拒否反応だったり、不思議です。

今までに「そうだよね!」と、打って響くような反応には、ほとんど出会ってないのが現状です。でも、そんな様々な反応を見るたびに、私は聖書自体を理解するための学びは本当に重要であるのだと思わされるのです。


たとえば、「神様のみこころ」とか「イエスに聞き従う」とか言ったりしますが、それは具体的に何がどうなることを言っているのか、考えた事がありますか…?

最近そういったセリフを聞いて思うのは、何か ” 啓示的 ” に受け取るものを意味して言っているのではないかな?ということです。インスピレーションのひらめきみたいな感じというか…。思い返してみて、私自身の理解はそうでした。

しかし神様の啓示は、すでに私たちのそば、すぐに知る事ができるところにあります。

「聖書」です。


「神のみこころ」も「イエスに聞き従う」の具体的な内容も、すべて聖書の御言葉を通して私たちに知らされています。もし、聖書の御言葉自体からくみ出す事よりも ” 啓示的 ” に受け取る事の方を重視しているなら、私たちは容易に ” この世の神 ” に惑わされるでしょう。

聖書の御言葉は、そのままイエスご自身であり、まさに神からの「啓示」そのものです。

聖書は活字で印刷されており、書籍という形となって、私の手に乗っています。
でも、そこに記載されている言葉の実体であるイエス、そのご人格、パーソンが生きて、ここにおられます。聖書を読み、「理解」する事は、その言葉を発せられた方との対話という有機的な交わりです。

私たちは、その聖書の御言葉と、どういった付き合いをしているでしょうか。
聖書に書かれている事を「理解」していますか。
私は、分かったつもりが一番厄介だったのだと思いました。皆さんはどうですか?

新約は大切だけど、旧約はよく分からん。となってる方もいるかもしれません。
でもそれでは、アンコの入ってないおまんじゅうみたいなもの。薄い皮だけでは、すぐにペシャンコ。形も保てませんよ!

または、理解はしていなくても「読む」という行為で、なにか霊的に養われていると考えますか?
私は、以前は確かにそのように思っていました。でもそれは、読む事で「ご利益がある」と考える事と、まったく同じ事だったのだと今は思っているのです。


あの古い蛇、 ” この世の神 ” であるサタンは、私たち以上に聖書の御言葉の重要性を知っているのではないでしょうか。

「聖書に記されている内容を”理解”するために自分から学ぶ」という事は、私たちにとって、いのちに関わるほどに重要なことではないかと思います。


2013年10月9日水曜日

3年間で出した結論

皆さん、ご無沙汰しておりました。お元気ですか。

日本は秋まっさかりで、朝のジョギングは本当に気持ちのいい季節となりました。
早朝の空気は澄んでいて気持ちがよく、まだ人や車も少なくて、朝の静けさに浸る事ができます。

日の出が見られたときは、とても素晴らしいです。イエスの購いと復活の朝をいつも思います。
そして、神の救いの契約が今日も継続している事、今は恵みの時である事を思い起こさせてくれるのです。

でも、今朝はとても厚い雲が覆いかぶさっていました。
そんな日は、あれだけ強烈な輝きを放って昇ってくる太陽が、まったく見えません。
雲を照らし、空を明るくして、そこに太陽があることは分かるのですが、太陽自体はまったく見えません。雲の厚みで、まったく隠されてしまうのです。




朝焼けを覆い隠す雲


この一ヶ月ほど、更新がなかったのは、いろいろと整理したい事があったからでした。
そして、ようやっと今の時点での答えに至ったので、分かち合いたいと思います。

10月から、今まで8年間通った教会から、一時離れる事にしました。
それは決して教会の牧師や兄弟姉妹が嫌になったとか、嫌いになったとかいうワケではありません。むしろ逆です。私は、教会の牧師も兄弟姉妹も大好きで、会えなくなる事がたまらなく嫌なのです。


教会に通い始めたころは、牧師やリーダーとしてお世話してくれる兄弟姉妹たちから沢山のことを教えてもらいました。とくに、その信仰の姿勢、生き方を模範として養われてきたように思います。

でも、私たちは地上での生涯をおくる間、一生涯をかけて神を、イエスを、御言葉と福音の奥義を知るために、追求し続ける必要のある存在であると思います。

神を知る事は、一日二日で分かるようなものではないですね。
また、今は私たち一人一人が御霊を頂いていて、以前のように預言者が私たちに神の言葉を取り次ぐのではなく、私たち一人一人が主イエスとの関係を育み、聖書の御言葉によって養われ、神を知り、主イエスの弟子、またイエスにある大人として成長していく責任があります。


3年ほど前、その事に気付いてから、御霊に押し出されるように聖書自体を学ぶ事を始めました。でも、その頃から”教会”との関係がぎくしゃくし始めてしまったのです。
教えられていた事が、全てが全て、正しかった訳ではなかった事に、気付き始めたからです。ビービー泣いては、頼ってばかりいた私は、訳が分からず、今度は抵抗し始めました。

おそらく、全てが健全な環境というのがあるならば、「人の教え」と「神の教え」の判別を学び始めた訳ですから、それはむしろ良い事、喜ばしい事であったはずだと思います。

でも、御霊の事は御霊の言葉、聖書の御言葉で解き明かす必要があります。
聖書の言葉の重要性を今ほど理解していなかった私は、さらに聖書から答えを見つけようというのではなく、この違和感を肉の言葉で説明し、解き明かそうとしていました。

それは、牧師や兄弟姉妹には反抗以外の、何ものにも見えなかっただろうと思います。
当惑させ、傷つけてしまったことがありました。とても申し訳なかったと思っています。


でも今、私は聖書を、イエスをまっすぐに知りたいのです。
一つの”○○教会”、一人の牧師だけから養われるのでは、どうしても教義が偏ってしまいます。それは、図らずして主の御顔の上に別の顔をつけることになると懸念しました。

死の淵と言えるようなところから救われて、受けていれ下さっていた”○○教会”。
私にとっては、あまりに影響力が大きくて、どうすることもできません。
思いを打ち明けても、「反抗」や「心の深いところに問題がある」となってしまいます。この話のかみ合わない状態に、情けない事に、私自身が賢明な応対がどうにもできないのです。

せめて、みんなともっと自由に対話ができればいいのですが、教会の教義の内での議論しかできないのが残念なところです。


私の判断を早急にジャッジしないで頂けたら、ありがたいです。
教会にある物差しではかると、きっと私は「信仰の脱落者、反抗、解決されていない問題が心の奥底にある、権威に服従できない、納得をもとめる、自分の我を通すことを治められない…」などなど、診断されてしまうのではないでしょうか。

でも、神の事、聖書の言葉、イエスについて、私たちは自分が知っていると思うことでさえ、知ってはいないかもしれない…という可能性を考えてみて頂きたいのです。

しばらく離れて、聖書自体、主ご自身を知る事を切に追い求めたいと思います。
最近は、日曜日に顔を出さない事が多かったですが、こういった理由からです。
誰かのせいとかではないので、誰も気にしないでくださいね。
悪いのは、聖書の言葉を覆い隠して邪魔をしている、あの古い蛇であると思っています。


とはいえ、牧師も兄弟姉妹もみんな神の家族である事に変わりはありません。
電話もメールもそのままです!いつでも連絡ください。近況報告し合えたら幸いです。

また、このブログはつづけますので、ここで生存を確認できますから、度々のぞいてもらえると嬉しいです。

また、お会いできるときを楽しみにしています。

ではでは\(^0^)/!


主イエスが私たちと共におられる事に信頼しつつ…!!!



2013年9月19日木曜日

秋空の青

木々の隙間からのぞく秋空


みなさん、こんにちは。先日は、凄い台風でしたね。被害はなかったでしょうか?
うちの方は、植木鉢やすだれが飛んだくらいで、特別大きな被害はありませんでした。

家の中から台風の様子を見ていましたが、自然の猛威は凄まじいものですね。
でも、なんだかいつも畏敬の念に打たれるのです。
それで、台風を窓から眺めるのが、私は好きです(^^)

台風が過ぎ去ったら、秋の気配が一気に訪れました。
私は秋が、大好きなのです(^▽^)!

すがすがすく、実りをたたえた濃厚な空気が大好きです。
勉強の秋、食欲の秋、読書の秋…。いろいろ言いますね。
皆さんは、どんな秋を過ごされますか(^v^)?


周りからはお調子者で、いつも笑っているポピーとして見られることが多いのですが、こんなポピーにもいっちょ前に悩みがあったりするんですよ。
友人のこと、教会のこと、家族のこと、仕事のこと…。

だれでも当たり前の事かもしれませんが、人をことで悩むのが、弱い私には一番こたえるものです(^△^)情けなし〜。

どうしてるかな?傷つけてしまったんじゃないかな?あんな事を言ってしまったけど、どう思ったかな?どう対応したらいいのかな?なにを望んでるのかな?

相手の事っては、相手の事をよ〜く知らないと、私は、ホント〜によく分かりませぬ。
だから、いろいろ悩んでも、結局は私の身勝手に考えてるんだろうな〜。と途方に暮れたりします。

そういった時には、ただそばにおられる主イエスの指先をそっと掴んで、共に静かに歩いている気分です。


昨日、長期出張にでていた同期の同僚(友人)が、3ヶ月ぶりに本社に戻ってきました。
明るく、気さくで、他意がなく、誰とでも打ち解ける。一緒にいると、人を元気する友人。イイ奴って感じの友です。

そんな友人と一緒に昼食を共にしました。出張先でのことや相次ぐトラブルなど、笑いながら話していました。

すると、おもむろに
「久々に会って驚いた。ポピー、すごいキレイになったね。」

どひゃー!こっちが驚いたわい!動揺して笑ってごまかしちゃいました。
でも、とても嬉しかったです。

とくに、この数ヶ月は悩みが多い日々でした。
主の意図した姿には、ほど遠い自分をみては嘆く事が多かったです。

でも、そのなかで主のみこころを知る事も多かった。
主の望んでおられる事を知る事ができたことは、苦しみを覆って喜ばしいことだったのも事実です。

秋空の真っ青な空をみあげた時のように、心の中にすがすがしい風が吹き抜けたようでした。

友に感謝!ありがとう!!!








2013年9月5日木曜日

Shalom シャローム 和解の安堵と喜び






初めの人、神の子アダムが、悪魔に聞き従って神に背いたために、私たち人類は神の怒りの下に置かれ、呪われた者となりました。
各々が短い人生を少しでも幸せに過ごそうと、各自の信じる幸せになれる道を四苦八苦しながら生きています。

創り主との断絶。私たちが、その全存在を全面的な信頼で委ねることのできる、唯一の本当の父との、断絶。

それは、実際どんな苦しみだと感じておられますか。

私は、神との断絶の苦しみを経験するとしたら、おそらく、人間関係が壊れた時の苦しみが近いのではないかと思います。

親しく交わりをしてきた、家族や友達、教会の牧師や兄弟姉妹、会社の同僚。よくいくお店でいつも話しをする店員さん、メル友、ブログ友、今だとLine友とかもあるのかな?
どんな程度でも、どんな関わりでも、人と人なら、それは立派な交わりですよね。

お互いがお互いを受け入れていて、親しみがあり、楽しさがあり、尊重しあい、信頼しあい、支えあっている。
そこには、安堵があって、それは心地良く、喜びがおおってくれてます。

私は、人との交わりが本当に大好きです。人が大好きです。
一人一人が、それぞれの人生を懸命に生きてる。高価で尊い、一人一人との交わりはとっても楽しいものです。


でも、その楽しさ、うれしさ、温かさを味わった親しい関係が、何かの出来事で突然壊れる。関係が破壊される。
取りつく島もなくなり、対話が成り立たない、意思の疎通は完全に途絶える、疑心暗鬼が心に忍び込んでくる…!

その原因がなんであれ、今までそこにあった交わりが壊れると、大変なダメージを受けます。その時の戸惑いと動揺。身悶えするような苦しみ。思うだけでも身震いがします。
みなさんも、長い人生、一度や二度は、経験がないでしょうか。

私は、なかなか動かなかったいつもの体重が1kg、余裕で落ちました。ははは(^_^;)


そう、それがアダムとの交わりが断たれた、父の苦しみだったのではないかと思ったのです。


エレミヤ書 31章 20節 
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは  彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。  ——主の御告げ——


Shalom(シャローム)は、あいさつとしてかわす言葉ですが、意味合いは「平安」。
でももっと具体的には「敵対した関係が、和解をして壁が取り払われた。交わりが回復して、安堵が広がった」という意味合いだと教わったことがあります。

そうです。あの安堵です。
経験したことがある方は、分かると思うのです。どうでしょう?

暗い暗い壁が、消え去った。重い重い垂れ幕が、取り去られた!
光が射し込み、あたりを照らす。互いの顔に笑いがこぼれる。
これこそ、本当の安堵と平安の満ちるときです。

互いに和解をして、互いに交わりをもって生きること。それは、神様の姿に似せて作られた私たちにとって、絶対に必要な、絶対に守りたい宝なのです。

だから、神は、私たちが互いに平和を保って、人々との交わりを豊かに健やかに生きて、その人生を楽しめるよう、聖書にその秘訣を事細かに、しかも神ご自身の指で石の板に記してくださっています。

イエスが肉体をとって、地上に来られ、想像を絶する十字架のあがないを成し遂げてくださったのは、まさに、父である神と、子である私たちとの和解のため。

それは、「私たちのため」と言うよりも、父なる神様の安堵と喜びのために、神のひとり子 イエスが、私たちの身代わりになってくださったのです。

父なる神が、私たちを集めて、その懐の内に取り戻すため。
その父の喜びが、私たちのうちに溢れ出るために…!



友との交わりが壊れた。

交わりを壊すように策略を巡らした悪魔を私は憎む。
悪魔の策略にのってしまった、罪残した友の”肉”を私は憎む。
悪魔の策略を退ける責任の自覚と、その努力を怠った友に、憤りを覚える。

でも、友の魂、その存在、友の内に住む御霊、主イエスを私は愛している。
だから、交わりの破壊は、私の心にも大きなダメージをもたらした。

その友が、和解の言葉を送ってくれた。
私の悲しみは、差し込む朝日の光を受けた、朝露のように消え去った。
重くのしかかっていた黒い霧は消え去り、身体は健康を取り戻した。

もちろん赦すにきまっている。
むしろ、赦させてくれて、その機会をくれて、私はとてもとても感謝している。

でも、ごまかすことのできない事がある。
壊れた信頼は元には戻せないということ。信頼の回復には長い時間と実績が必要となる。
人は、あくまでも自分でまいた種を自ら刈り取ることになるから。

私は、それを担うことはできない。
それは、神が定めたことだから。どんな言い訳も通用しないこと。


でも、敵の策略に気づいて、すぐに神に立ち戻った友を私は尊敬する。
私たちは主に直接お会いする時まで、完全ではないから、あるときイエスを忘れて、とんでもないことをしてしまう危険は、誰にでもある。
私だって、道からはずれて間違いを犯す可能性は0ではないのだから。0にしたいけど。

その時は、友のように、イエスの御前に進み出る者でありたい。
自らの過ちに気づいたとき、ただちに相手に謝罪を伝える、そんな、イエスに対して素直な者でありたい。

友のように、私もイエスと親しい親友になりたいと思った。


友が笑ってくれるように願っている。







2013年9月4日水曜日

豪雨で足止め中!

今日の豪雨で、全線運転停止!

今、職場の最寄り駅で、すでに3時間、足止め中です(^_^;)

どんどん人が増えていく…。


最近の天気は、本当に異常ですね。
ゲリラ豪雨に、竜巻!
どうなっちゃてるんでしょう。

こんな時は、無茶をせず、本でも読んで待ちたいと思います(-_^)

運行再開まで、あと1時間。