2014年3月12日水曜日

ルポ③ 自分が消えた…!?アイデンティティの喪失

数日前から、引越し準備のために部屋を片付けて、荷造りを進めていました。

誇らしく最終日を迎えた、その翌朝。
燃えるゴミの日だったので、車でゴミ捨て場に向かいました。

"あ、一緒に仕事をしてた○○さんだ。眠そうな足どりだな〜(笑)私は、お休みよん♫(←!)こっち気づかないかな:)"
呑気な事を思いながら、更に進むと、正門が見えました。人々がセキュリティカードをかざして、入場して行きます。

そのセキュリティゲートをみた瞬間、ある思いが猛烈に襲ってきました。

自分はもうそこには入れない!ということ。
もう、あの日々は二度と帰ってこない!ということ。
みんな散りぢりとなって、もう一緒に仕事もできない。
自分の成果も、私自身をはなれ、私の名前だけをのせた報告書は社内に残る。でも結局は、すぐに古い技術として消えていく…!

自分は、何?自分は、どこにいるの??

喪失感、断絶感、疎外感、無力感、惨めさ、虚しさ、悔しさ、悲しさ、寂しさ…。
混乱する猶予も与えずに、大きな虚無感がブラックホールのように、自分の内に大きく口を開けたかのようでした。

私は、あまりにもその職場に自分の全存在、全価値観の軸足を置きすぎていたんですね。
大きな企業という、スティタス(協力会社なだけなのに〜)。
大きな企業の"人々"の中に、自分を見出そうとしていたこと。
本当に無知で、無防備だった。世間知らずで、幼稚やった…。


ん〜、でも思い返せば、自分のアイデンティティ(自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念 wiki )の喪失感を感じ(自覚?)始めたのは、大学卒業時。
就職活動の頃からだったかもしれないですね。

それまでは、保育園、小学校、高校、大学と進むのは当たり前で、進学すること自体が最優先。
何のために?何をするために?から、どこで何を学ぶかを選択するよう、問われることがなかった。自分もそういったことを考えたこともなかったです。
目先のテストや受験に追われて近視眼的に生きてたなあ。

大学3年の時に、就職活動を始めるわけですが、選択するための基準が全く自分中に無いのに焦りました。
どんな仕事、どんな会社がいいのか、全く分からなかったです。
「どんな仕事をしたいのか?」って考えるところ、「どんな仕事が"良い"のか?」って悩んでた。
それで、福利厚生のいいところとか調べてて、会社や職業の内容を考えることさえ出来なかったんですよ。怖いでしょ〜?

でも、なぜか私の時代、また周囲は、そういう感想な人って、とても多い。
だから、今からでもいいから、目的持ってちゃんと学びたいって人も、結構いるのは、まあまあ良いことですけどね。

学生時代、目的を持っていた人は、私たちとは違った雰囲気があって、変わり者として、あざ笑われる対象だった。

ああ、でも、そんなツケがこのような形で襲って来ようとは〜!

このアイデンティティの喪失の苦しみは、キリスト教会に集うようになって、より混乱する様になっていきました。

それは、人に頼らずに、自分自身で真理を求めて聖書を探求すること。
それが最低限の自分の責任だったんや…。

そう気付いて、取り組み始めるまで、ずっと続いたのです。


つづく〜




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